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ヒロインキャストインタビューVol.5
梓川かえで/花楓役・久保ユリカ

かえでとの決別と
ふたりの妹を背負う覚悟

「彼女はきっと世のお兄さんたちの
夢が詰め込まれた妹」

――ついに第13話をもってTVアニメは最終回を迎えました。久保さんはWEBラジオでパーソナリティを務めるほか各種イベントや生放送に参加されていましたが、ファンの方の反応をご覧になっていかがでしょう。

梓川かえで/花楓役・久保ユリカさん(以下、久保)
アフレコをしている時点で絶対に人気が出る作品だと私も感じていましたし、キャストをはじめ多くのスタッフの方が熱量を持って携わっている作品だと思います。その熱量が伝わっているような反応を、ファンのみなさんからいただけている気がしますね。

また、元々原作がお好きな方はアニメも楽しんでいただけていると思いますが、人によって原作を読んだ故のイメージや受け取り方ってあると思うんです。だから、原作ファンの方のイメージにどこまで沿っていけるのか不安に感じていて。

でも、そういった私の不安も飛び越えて楽しんでいただけていることがとても伝わってきますし、もちろんそれはアニメから本作に触れた方でも同じで。アニメを見てもっと深い部分を知りたいと思った方が原作を読んでくれるという、一番いい流れになっているなと個人的に思います。

――久保さんの中での不安は解消されましたか?

久保
正直、このインタビューを受けている時点では第11話が放送されていないこともあって、ある程度の不安は感じています。きっとヒロインキャストのみんな、自分が演じるキャラクターのお当番回の反応は気になると思いますし、それは私も例外ではなくて。

もし可能であれば、原作を既に読んでいる方、まだ読んでいない方、どちらの方にも改めて原作を読んでいただけると、よりキャラクターが起こした行動などを深掘りできると思います。原作では咲太の心情がモノローグとして細かく描かれているので、そういった部分を追っていただけたらより楽しめるんじゃないかなと感じていました。

――限られたアニメの尺ではどうしても描ききれない部分がありますからね。

久保
そうなんです。ただ時間が限られている中、アニメで初めて見ていただいた方にも分かりやすく受け取ってもらえるような内容だと感じましたし、そういう意味では原作も普段あまりライトノベルを読まない方にとっても読みやすい作品だと思います。

また、アニメを見てから原作を読むと「こういうことがあったんだ!」という発見もあり、あっという間に読めると思うので、より深いところを知ってほしいからこそ改めて原作も読んでもらえたら嬉しいです。

――久保さんがかえでを初めて演じたのは多数決ドラマですよね。

久保
はい。電撃文庫とniconicoのコラボ企画で行われた多数決ドラマでは、話の根幹に関わることはなくて。不思議現象が起きている中での日常生活における、いちキャラクターというポジションだったので、かえでについて深く知る段階まで踏み込めなかったんです。だから、その時点では可愛くて楽しいキャラクターというイメージがありました。
ちなみに多数決ドラマの時点で麻衣さんと咲太が付き合っていたのを見て、個人的にはどこか不思議な気持ちだったんです。

――と言いますと?

久保
物語の最後にヒロインと付き合うという展開が比較的メジャーだとは思いますが、『青ブタ』ではアニメも原作も序盤から結ばれていたのでかなり印象的でした。
きっと多数決ドラマで初めて作品に触れた人からすれば、見た時点で付き合っているのは気になるじゃないですか。でも、たしかにそこが入り口だと「もうこのふたり付き合っているんだ!なんで!?」という、より興味を持つきっかけになると思うんです。

だから多数決ドラマを行った時点で『青ブタ』という作品そのものの仕掛けがすべて面白いですし、ファンの方や初めて見てもらう方を楽しませる点においてとても上手だと思いました……ここまで話しておいて、鴨志田先生からしたら私は何目線なんだろうって思っちゃいますけど(笑)。

――(笑)。先ほどかえでのことを理想的な妹だとお話ししていましたが、かえでの第一印象は?

久保
私自身、兄がいるからこそ「こんな妹いないよ」という印象が先行していました(笑)。でも、それと同時に彼女はきっと世のお兄さんたちの夢が詰め込まれた妹なんだろうなという印象も受けていて。

実際に兄がいる身としては照れくさい気がして、どこまでかえでの可愛さを活かせるんだろうと考えることもありました。あと私がこういう妹として過ごしていたらもっと仲良かったのかなぁと思うこともあって。決して兄と仲が悪いわけではないんですけどね!(笑)

――今よりもっと仲が良くなれたかもってことですよね(笑)。

久保
そういうことです!(笑) 
かえでみたいな妹だったらまた別の関係性があったのかなとか、妹ならではのことを考えさせられる存在でした。

かえでと花楓、唯一の共通点

――第11話~第13話までがお当番回になりますが、全体的に振り返ってみていかがでしょう。

久保
う~ん……正直、しんどかったですね(笑)。
個人的には第9話、第10話と収録を終える度に「来るぞ~」と思いつつ迎えたお当番回でした。さらに咲太を取り巻く色々な女の子たちとの出会いもあり、かえでの成長が少しずつ描かれた末のお当番回で。
演じている立場ではありますが、久保ユリカとして見ていて胸を締め付けられるような気持ちになりましたし、台本を読んでいる時点でグッとくるものがありました。

また、台本をいただいてからアニメで描かれる部分を原作で読み直したんです。原作では咲太の気持ちが描かれているので、読み直した後は台本を読むだけで悲しくなりますし、涙が出てきますし
。正直なところ「収録したくないなぁ」って思っちゃうくらい、演じる上では辛いものがありました。

一方で石川界人君は咲太そのままのような距離感でいてくれて、台本を読んだ通りの空気感で収録に臨むことができました。しかも「私がこうやったら、きっと咲太ならこう返してくれるんじゃないかな」という想像を超えるくらいの咲太感で自分の演じるかえでに接してくれたので、石川君が演じる咲太にすごく引っ張ってもらえた気がします。
辛いという感情もありましたが、それ以上に集中して収録できた気がします。

――なるほど。また今回のかえでのお当番回では、毎話に大きなクライマックスがあるように感じました。

久保
そうですね。毎回「もう終わらせてくれ~!」と思うこともあって(笑)。

――でも回を重ねるごとに、かえでから花楓に近づいてしまうわけで。

久保
花楓を演じるのは難しかったですし「このまま劇場(ゆめみる少女)か……」という思いもありました(笑)。
もちろん原作を読んでいたので、花楓が戻ってくることはアフレコ前から分かっていましたが、自分にとってどこか遠い存在だったと言いますか。

とはいえ「元々かえでは花楓だからあまり変わらないんじゃないかな?」とか、色々と自分の中で組み立てていきましたが、私の想像以上にガラッとかえでのイメージを変えたいというディレクションをいただいて。
たしかに花楓が戻ってきたのに理想の妹のかえでという存在が消えてしまうことを考えると、これまでのかえでのイメージが変わるほどのニュアンスで演じる必要性を感じましたし、咲太がショックを受けて泣き叫ぶシーンに繋がらないなと気が付きました。

ただ、演技を大きく変える必要性は感じているし理解しているけど、今まで演じてきたかえでが染み付いていることもあって、彼女のキャラクター性を抜く作業は難しかったです。
咲太の絶望的なシーンが第13話に控えていることから頭の切り替えはできましたが、お芝居に移すのはやっぱり難しくて。

――第1話からずっとかえでに寄り添いながら演じていたわけですからね。ちなみにディレクションがあったという花楓はどのように演技を組み立てたのでしょうか?

久保
そうですね。
可能な限り今どきの女子中学生を演じてほしいとディレクションをいただきましたが、最初は混乱しました。「なんでそんなに変わんなきゃいけないの?」と。自分が演じてきたかえでへの愛着もあったので、とても苦しかったです。

「もっとぶっきらぼうでいいし、今どきの“お兄ちゃん・お父さんウザい!”くらいのテンションでいいよ」という指示があったものの「今のは可愛いから」とリテイクが出てしまって。「あっ、なんかありがとうございます」と一瞬考えつつも、そこで喜んじゃダメだと(笑)。
「今は“可愛い”は褒め言葉じゃない」と考えを正しながら進めていきましたが、どうしてもかえでと花楓の切り替えは難しかったです。

――素人目線で恐縮ですが、声質はひとりのキャラクターを保ちつつ別人のように振る舞う演技はきっと難しいですよね。

久保
そうですね。ただ、自分が声優という仕事をしている上で「人ってこんなに声を変えられるんだよね」と思うと、たしかに人格が変わると声を出す場所も違うのかなって考えるんです。

それに声優のお仕事をしていないとしても、目上の人と話しているときに声が高くなったり親しい人と話すときに声が低くなったりすることってあるじゃないですか。だから人格自体が変わってしまうと違う声になるのはひとつの形だと納得しましたし、むしろ自然なことなのかなって改めて気が付かされました。
なので、きっと咲太やお父さんはハッとさせられたんじゃないかなと思います。
多分、視聴者の方も「かえでどこ行っちゃったの~!」って思うはずですし、これまでの「おはようございます!お兄ちゃん!」と言う彼女が見られないと思うと切なくて。
第13話まで見た後、今までのかえでを振り返ってほしいくらいです(笑)。

――ちなみに久保さんの中で、かえでと花楓は別個の人間として演じていのたでしょうか? それとも“カエデ”というカテゴリの中で、かえでと花楓を演じ分けていたのでしょうか?

久保
個人的にはディレクションがあるまで、かえでというベースがあった上に花楓の性格面や今まで過ごしてきたことがあるつもりでした。でも人格がガラッと変わることをディレクションで聞いたときに、これはまったく違う人間を演じないとダメだと思って。

ただ、ひとつ共通点があるとすれば、かえでも花楓も咲太の妹であること。それだけがふたりにとっての共通点なんだと思います。
それでもふたりは姉妹じゃなければ、ひとりの人間でもない。最終的にはその気持ちを大事にしながら収録に臨みました。

緩やかに広がり始めた
かえでの世界

――ここからは各話の要所ごとに振り返っていきたいと思います。まず第11話では、かえでが外に出ることを決意して咲太に宣言するシーンがありました。今までのかえでと外に出ることを決意した彼女とでは、意識的に演技を変化させようと思ったのでしょうか?

久保
かえで自身、段階を踏むというより緩やかに変わっていったと思うんです。後半にかけて畳み掛けるように女性が家に来るようになったこともあったので(笑)。
もしかしたら、アニメを見ている上では急成長したように感じられるかもしれませんが、そもそもは麻衣さんが訪れたことによって第一歩を踏み出すきっかけになったと思います。

それまではお兄ちゃん以外、お父さん・お母さんを含めて外の人と接する機会はなかったんですよね。私自身、たしかに前向きな発言をするようになったように感じていましたが、そもそもかえで本人が元々明るい性格の女の子ですから。
だから成長していったことに加えて、本来のかえでの性格がより表に出ているように見えるお芝居にしたいと思い収録に臨みました。

――それこそ色々な人が家に出入りするようになってからお当番回に進むにつれて物怖じしないと言いますか、そこまで人見知りが表れていないような気がしていて。

久保
麻衣さんとは普通に会話をしていたり、翔子が来たら妹の座を奪われるという危機感からヤキモチを妬いていたりしましたね。そのときは「可愛いらしいなぁ」なんて思っていましたが、妹の座を奪われることは彼女にとって重いことなんだろうなと追々気が付きました。

そういった裏側まで考えると、そのときのかえではどんな気持ちで過ごしているんだろうって。
どこまでがネタで可愛い妹としてヤキモチを妬いていたのか、それはかえで自身、鴨志田先生にしか分からないんでしょうけど(笑)。

――そう考えると、かえでが信頼を寄せているのは咲太ひとりだけで、妹の座が奪われてしまったら彼女のアイデンティティ……極端な話をすれば自分の世界がなくなってしまうわけですからね。

久保
咲太そのものが自分の存在理由になっていると思うので、きっと妹の座だけは譲れないという強い気持ちを持っていたんだと思います。

――また、咲太の口から思春期症候群の発症以前のかえでの記憶がないことが告げられました。

久保
実はみんなが今回の収録を通して「えっ!?」という反応をしているのを見て、ひとりで面白がっていました(笑)。
みんなも原作を読んでいると思いますが、きっと自分の回を中心に読み込んでいるパターンが多いと思うので。そんな驚く姿を見ながら「最終的には消えてなくなるんやで……」と思っていました(笑)。

でも知っていたからこそ、知らない方が良かったような気もしていて。とはいえ、知っているからこそ消えたくないというかえでの気持ちが分かりますし。
消えてしまうとしても、花楓が戻るとしても、お兄ちゃんに後悔させたくない必死な感情はお芝居に出せたと思います。なので、ちゃんと原作を読んでお当番回を迎えられて良かったです。

――かえでを知っている人からすれば、彼女とは別に花楓が存在していることは本当に衝撃的だったと思います。

久保
それこそ麻衣さんはかえでに良くしてくれていたので、今までの記憶がなくなってしまう切なさはあると思います。
もちろん花楓にとっては「あの女優の桜島麻衣!?」となるかもしれません。
でも周りの人たちの気持ちを考えると、花楓の記憶がないかえでにしても、かえでの記憶がない花楓にしても、どちらも辛いし切ないんでしょうね。

――第12話では中学時代の咲太と翔子との回想シーンがありましたが、要所で登場してきた翔子についてはどんな印象を受けていましたか?

久保
個人的にミステリーが好きなので「事件性のある女の子だ!」という印象があって(笑)。「この女の子にはきっと事件性があるぞ!」という血が騒ぐ感じと言いますか、面白味を感じてはいました。

きっと第13話で高校生の翔子が現れなかったら、わだかまりを感じながら咲太は花楓と接することになった気がしますし、かえで自身も翔子が日記を見つけて読み上げてくれたことで報われたと思います。
だから牧之原翔子という女性はなくてはならない存在で、お兄ちゃんを救ってくれたという意味では彼女がいてくれて間違いなく良かったなと思います。

――ちなみに、回想の中で翔子は「人生って、やさしくなるためにあるんだと思っています」「昨日のわたしよりも、今日のわたしがちょっとだけやさしい人間であればいいなと思いながら生きています」と話していましたが、生きていく上で久保さんがポリシーにしているようなことはありますか?

久保
実際にできているかは難しいところですが、あまり人を羨ましいと思わないようにすることは気をつけるようにしています。
「すごい!」と思うことと「羨ましいな」と思うことは少しニュアンスが変わってくるのかなと。

純粋にリスペクトするのは大切で素敵なことですが、それが「羨ましい」という気持ちになると自分自身のモチベーションに関わってくると思うんです。「羨ましい」と思って「それを超すぜ!」と意識しても、きっとそれはマイナスの感情で。“羨む”という行為からは、あまりプラスの感情で動くことはないと考えています。
憧れとはまた違う気がするので、羨ましいと考えるよりはリスペクトするところを探した上で人と接したり、自分の行動に活かすようにしたいなと思いながら生きていますね。

――たしかに“リスペクト”ではなく“羨ましい”が起因となっている行動では目指しているゴールが違いますよね。“羨ましい”だと、羨ましく思った相手の行為や結果がゴールになっているわけですから。

久保
それに“羨ましい”という感情だと、その人の努力が見えてない気がするんですよね。

――あくまで相手が成し遂げた結果しか見えていないと。

久保
きっとそうなんだと思います。私の友達の旦那さんが英語ペラペラで、人に「すごいね、勉強したの?」と聞かれると「元々帰国子女で小学校のときにオーストラリアに住んでいて……」という話をするみたいなんです。
そういう話をすると「いいなぁ羨ましい。そういう環境にいて、そりゃ英語喋れるよね」と言われてしまうことを聞いて。実はそれって帰国子女あるあるらしいんですよね。
でも元々は日本にいたのに向こうで何年も生活をしていて、それがどれだけ大変だったかは見てもらえないまま羨ましいって言われてしまうわけで。かと言って「自分がどれだけ大変だったか分かる!?」なんて言わないですし(笑)。

たしかに、その環境があるのは最終的にみんなから羨ましがられることになったけど、あくまで本人の努力があってこそだと思うので。留学に行ったのに喋れないまま帰ってくる人もいるわけですから。

だから結局そこには努力が存在していて、そういうところが見えていると羨ましいという言葉は出てこないのかなって思います。「すごいね」とか「どんな風にしてたの?」とか、リスペクトした上での反応だったら、別の接し方や聞き方ができるんじゃないかなと思いました。

「かえでは『青ブタ』という作品の妹だったと思います」

――かえでが花楓として見られることが怖いと打ち明けるシーンがありましたが、きっとそのときの彼女の中には色々な感情が渦巻いていたと思います。かえでの感情を踏まえた芝居はどのように作っていったのでしょうか?

久保
世のお父さんが悲しんじゃうと思うんですけど、基本的に子供はお母さんが大好きじゃないですか。もちろんお父さんも大好きですけど、女の子の場合は特にお母さんが好きだと思うんです。そういうことを考えると、自分が絶対的な信頼を寄せているであろう母親に拒絶されることって、もはや辛いというレベルじゃないと思います。

しかも、かえでにとってはその人が本当の母親なのか、自分の存在さえも分からないことを踏まえると孤独でいっぱいという考えで。だからこそ、みんなが家族だと思って演じることはしませんでした。
そもそも、目が覚めて「あなたには記憶がありません。この人達があなたの家族ですよ」と言われた時点で不安ですよね。でも他に頼る相手もいないし、家族という存在だったら信じたいと思って歩み寄って。そこには母親という存在がいて、どうにか一緒に過ごしていきたいと思った矢先に拒否されて……本当に辛いですよね。家族じゃないけど家族だと思わなきゃというシチュエーションだったので、その際はとにかく孤独を意識して演じました。

だから余計に咲太の存在が大きく見えていたんだと思います。それはきっとお兄ちゃんじゃなくても良かったと思うんですよね。でもお兄ちゃんという言葉、妹という存在であったからこそ一緒に居ていいという理由がかえでの中に生まれていて。それが安心材料になったので、咲太であったことに意味はあると思いますし、助けられたのかなと思います。

――その瞬間からかえでの世界は咲太だったんですね。さらに、かえでは改めて「学校に行きたいです」と口にしていました。第11話では「学校に行く」とノートに書いた目標を咲太に見せていましたが、それとは異なるニュアンスの決意が感じられましたね。

久保
私の個人的な考えですが、その時点でかえではもうすぐ消えてしまうかもしれないことを分かっていたんじゃないかなと。
だから学校に行くという目標を叶えることで、咲太の気持ちを汲める。咲太のことを考えて学校に行きたいと発言したのかなと思いつつ演じました。

かえで自身の意志もあるけど、それ以上に彼女には咲太しかいなかったから。そんな彼の気持ちを汲みたい気持ちが第一にあったと思います。
本当は心の準備ができていないけど、叶えられないままお兄ちゃんを悲しませた状態で消えていくことだけはしたくない。自分を奮い立たせてでも成し遂げたい感情が強かったのかなと思います。

――記憶がないまま何も知らない自分の世界が提示されて、いざ慣れてきたと思いきや終焉にも猶予はなくて、本当に切ないと思います。その後は目標に向けて挑戦していくものの、なかなか思うように進まなくて。そこでかえでは「どうしてダメなんですか!」と声を荒げていましたが、あれほどまでに彼女の感情が昂ぶるのは初めてでしたね。

久保
もう残りの時間がなくて消えてしまうのは察していて。そんなかえでの本心を咲太は分からないから、無理はさせたくないという気持ちもあったと思います。
それがかえでにとっては余計もどかしいですし。きっと声を荒げて咲太に伝えるというよりは、その行為で自分自身を奮い立たせようとしていた印象を受けました。

――咲太に向けたような叫び声は、実は自分を奮い立たせるための行動で。ただ、その先には咲太を悲しませたくないというかえでの本心が秘められていたと

久保
だから本当にかえでは理想の妹で、優しい女の子でした。

――そして、咲太のおかげで夜の学校に登校することはできましたが、次の朝を迎えるとかえでは花楓に戻っていました。第13話では混乱した咲太が事実を受け入れられずに病院を飛び出して、走って、叫んで、泣いて。

久保
咲太なりの葛藤があるのも当たり前ですよね。
たしかに本来の妹は花楓で、中学生までは彼女を見てきわけですし。もちろん花楓にも帰ってきてほしいけど、ここまで過ごしてきたかえでとの思い出や気持ちも嘘ではないし。
そういった感情が一気に爆発したのが、咲太の叫びだったと思います。咲太にとって辛い決別だったんでしょうね。

――そんな咲太の前に高校生の翔子が現れて介抱し、かえでが残した日記を読み上げましたが、そこでは翔子の声に合わせてかえでの声が重なっていく演出もありました。

久保
台本を読んだときはどんな収録になるのか、どんな風に演じれば気持ちが繋がるのかを考えました。声が重なるのはアニメならではの表現だと思いますし、きっと原作を読んでいた方にとってはふたりの声が聞こえているのかなと。

要は咲太自身が、日記を読んでいる翔子の声を聞きながら頭の中でかえでの声に変換しているということだと思うので、より感動的なシーンに仕上がっていると思います。
また、そのシーンでは再び翔子の包み込むような優しさが垣間見えましたよね。
言ってしまえば、日記を見つけても咲太に渡すだけでいいじゃないですか。でも、その日記をお風呂のドア越しに読んであげるという行為に翔子の優しい気持ちを感じました。

――最終回のラストでは、花楓が「私は、ひとりじゃないもん」と笑顔を見せました。こちらはTVシリーズを締めくくるセリフとなりましたが、この一言にはどのような想いを込めて読み上げたのでしょうか?

久保
まず、そのシーンの直前に花楓がかえでの日記を手にしている描写があったので、きっと日記を読んだ花楓が咲太の気持ちを汲んだのかなと。存在すら認知していないかえでを受け入れる花楓は、かなりすごい女の子だと思いました。
普通、自分の意識がない間に別の存在がいたってかなり怖いことだと思うんです。

きっと花楓にも色々な葛藤があったと思いますが、日記を読んで受け入れた上での「私は、ひとりじゃないもん」というセリフ。細かく描かれていたわけではないものの、かえでを受け入れた花楓がお兄ちゃんに感謝しているような印象を受けました。

それは、かえでと花楓のふたりからという想いで気持ちを伝えていて。そのためには「学校に行きたい」と口にすることが、彼女にとっての精一杯の感謝の気持ちだったのかなと思います。

――さらに今後は花楓として演じていくことになりますよね。

久保
劇場公開される「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」の収録に入るタイミングではお当番回のオンエアを見られるので、花楓を馴染ませてから臨みたいです。

ちなみに先ほど話に挙がった花楓の最後のセリフは「まったく別の人間だけど、かえでのことも抱えて生きていくよ」という心意気を含んだ発言だったと考えていて。だから私もそんな花楓の想いを汲んで、彼女を演じていきたいと思います。

――最後に、最終話を経て久保さんが感じたかえでについて、そして兄妹の魅力についてお聞かせください。

久保
『青ブタ』はリアルな辛い部分が描かれていると思っていて。全部が全部ハッピーではありませんし、はたまたオムニバスだからと言って咲太がヒロイン全員と付き合うことなんてないですし。
普通だったらそれもおかしくない展開だと思いますが、『青ブタ』という作品では決してそんなことは起きません。
朋絵は咲太にフラレちゃうし、理央の恋も叶わずに終ってしまうし。ちゃんと高校生ならではの苦しみ、人間として生きていく上で起こることがリアルに描かれている作品だと思います。

タイトルだけを聞くと常に楽しい作品なのかなってイメージを抱く方も多いと思いますが、意外とそんなことはなくて。ただ、それが分かったときには、かえでの存在が重要になってくると思うんです。
思春期症候群の最中でも、彼女が出てくる瞬間はポップに描かれているような気がしていて、音響監督さんには「楽しい、可愛い、ホッとする存在になるよう演じてほしい」と言っていただいたので、常にその点を大事にしていました。

『青ブタ』において、かえでは癒やしなんです。もちろん咲太にとっても癒やしの存在で。彼は色々な思春期症候群に巻き込まれていましたが、家に帰るとかえでが出迎えて「おかえりなさい、お兄ちゃん」、朝起きれば「おはようございます、お兄ちゃん」と言ってくれました。

そんな彼女が妹であり癒やしの存在になったのかなと考えると、かえでは『青ブタ』という作品の妹だったと思います。
そしてこれからは花楓として、新しい妹の形をみなさんにお見せできたらいいなと思います。ありがとうございました。